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自由を規約で表すとなると~とあるロックフェスにおもうこと~

2009年09月21日 09:38

友達のお誘いから、久々にPCからmixiをいじっていたときのこと。
mixiのコラムに「とあるロックフェスでのモッシュダイブの厳罰化」がとりあげられてまして。
大雑把な筋書きとしてはこんな感じ。

前のロックフェスで後遺症を残すけがをされた方がでた

”観客の安全を最優先した”運営側は、今まで禁止行為としてきたモッシュダイブを厳罰化(やった場合は即退場)した
(以前から禁止行為としてはいながら黙認していたそうで)

後のロックフェスに参加したアーティストが、ライブ中に「ロックなのに良い子でどうすんの?」 と挑発。この言葉に呼応した観客が次々とモッシュダイブ

運営側の代表からアーティストに「あの場で闘ってくれてありがとう」「今後もこの場で闘いを続けて欲しい」との言葉が

上から二つ目までのところは、サッカー等でもよくみられる話で。
個人的に感動したのは、厳罰化されたなかであえて挑発したアーティストと、アーティストに対し「闘ってほしい」といった運営側の代表でしょうか…そう思う一方で、これが”いたちごっこ”という結末を歩んでほしくないなぁ、とも。

運営ってものをよく知らない人間の目線ですが…運営側が最低限やるべき事って、イベントをやる場所と時間の確保と、イベントを滞りなく進行するための配慮なんだと思うもので。イベントに参加する人は、観る側も観られる側も”神輿の上にのる存在”であって、その神輿を支えるのが運営という仕事なのかなと。
イベントの中身によって、観る側なり観られる側なりが怪我をする可能性がでてくるわけですが…正直、その怪我に対する補填を運営がやる必要はないと思うもので。そこはイベントに参加する人の自己責任って部分もあって、なんなら「怪我した場合は自分で自分の面倒をみます」的な誓約書でも書かせればいいもんだと思うもので…というか、そんな意気もなくイベント中にダイブで怪我した人が運営に対して文句垂れるいうのはお門違いと思うもので。

自由ってのは、ある意味責任を背負うことと同義だと思うもので。
きっと、怪我をする事に対して運営側が
”何でもやっていいけど、こっちの不備がないところで怪我した場合は自分で責任とってね”
というスタンスを取るか、
安全の確保という責任を取る以上、怪我をする可能性のある行為は許しませんよ”
というスタンスを取るか、の違いのようにもみえてきて。
安全で誰でも楽しめる”という方向を望むのであれば、後者のスタンスを取らざるを得ない気がする。ただ、”何もかも他人の手で守られている”環境ってのが何事においても最善なのだろうか、という気もするもので。

運営側が、その場で起こりうる”全ての”事に対して責任を背負う必要はないんじゃないかな、と。
それと共に”自ら責任を取る”ポーズをとることも、イベントに参加する人には必要になってくるんじゃないかな、と。

そーいう意味で、このロックフェスが今後どうなるか、注目するに値するものはありそうな気がします。




かくいう私は、ロックフェスなんて一度も行ったことないもので(;´∀`)
それに近いものとすれば高校生のときの文化祭と、鴎人な方々との集会(千葉マリン最終戦の後)くらい…ただ、その両者でモッシュダイブなるものを目撃したもので( ・∀・)アヒャ
「激しくバカなことやってるな~」って感じで、えらく楽しかった覚えがあります。
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異質を楽しむツール

2009年02月01日 11:56

 ブログの面白いところは、人それぞれの考え方や価値観の違いを”草の根”感覚で分かりやすくつかめる点である。書いてあるものが”何でもない日記”だとしても、筆者の視点や言葉遣いなどから”人となり”を感じる事ができるわけで…ブログを読む行為へのモチベーションの中には”筆者の考え方への興味”や、”筆者の人となりを感じる事で(心理的な)何かを満たしたい”というのがあったりするのだろう。

 中には”人となり”を表現した文章が、他人から違和感なり反感なりをもたれる事があるかもしれない。「こいつが同じ人間とは思いたくない」なんて感想を持たれる事があるかもしれないが、そんな人がこの世にいるのもまた事実であり「こいつが同じ人間とは思いたくない」からといってその人となりを否定し抹殺しようとするのは、同じ理由で自分を否定し抹殺しようとする人を無条件で受け入れるのと同意であるように思われる。

 例えば「”今日はHIOがたくさん入りました^^”なんて文章がどれだけの読者を無気力にしているのか少しは考えろ」という文章があったとして、それをどう感じるかは読み手によってそれぞれ異なるわけですが(ある人は反感を抱き、ある人は同感し)、その感情から何か行動を起こすとするなら、その行動の責任はあくまで行動を起こした人にあるわけで文章を書いた人にかかるものではないと思う。
 
 脳みそを覗いてみたい、という興味で歴代の極悪犯罪人やテロ組織の一味、インドの山奥で何かの修行をしている人や舞妓さん、何かと闘っている人や至極穏やかに過ごしている人、幸せの絶頂にいる人や不幸の絶頂にいる人…etc 自分にない”異質”を持つ人の文章に惹かれますねぇ。結局、自分にない”異質”を楽しむために、”異質”と感じる事で自分の立ち位置を見定めるために読んでいる、ともいえそうな。


 自分にない”異質”を拒絶する人には、つらい世界だと思う。





これを書いたのは2007年11月。
下に続いて”隠れ家ネタ”3つ目…にして最新のネタ(;´∀`)

定例ながら 2007/2/14分

2009年01月07日 23:23

 今度ゴールデン枠へ行くらしい番組から、私なりに受信したオモシロかった言葉を( ´ー`)y-~~

「黒ばかり見てきた人にはグレーが白く見え、白ばかり見てきた人にはグレーが黒く見える。」
 心穏やかに生きていけそうなのは前者、ちょっとした欠けも許せなくなりそうなのは後者ってとこでしょうか…ま、どっちを選ぼうが自己責任世界でしょうけど( ´ー`)y-~~


「腹六分の付き合い」
 大事に思う人であればあるほど、ほどほどを意識しなさいってとこでしょうか。たぶん、がっつり行くほど、それを失った時の負の反動もまたがっつりしたものになるって事なのかなと…。失った後の絶望感、果てしなき嫉妬心を受けきれる自信があるならがっつり行ってみても…なんて思ったりもしましたが。まぁ、私には無理そうで( ´ー`)y-~~


 ”あるある”の一件以来、テレビの言うことはみな疑わしいって論調をそこかしこに見られる気がしますけど…信じようと疑おうと、全ては自己責任なのだろうと思うのですが( ´ー`)この番組に出てくる人々もまた、胡散臭さを感じる要素てんこ盛りなのでしょうけど…でも、言ってることに確かな重み、面白みを感じるから…結局見てるんだろうなぁと。
 自己責任という言葉を知らずして、やれ騙されただのぬかす大人の方々には、ホント…(失笑




これを書いたのは2007年2月15日。
この頃は毎週スピリチュアルなお三方の番組を見てまして…見ててひっかかった言葉を日記に書くのが習慣になってたような。この頃はまだ水曜の遅い時間にやってました。
ただ、今はなぜか見なくなったんですよね…嫌いになったわけでもないのですが(;´∀`)


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