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「大人の写真。子供の写真。」を読んで

2009年05月17日 21:04

同じモノを撮ったとしても、人が変わると違う絵になるというもので…
撮る角度からモノとの距離からピントの合わせ方から…絵を通じて伝えたい言葉から…

それを大人(53歳)と子供(6歳)でどれくらい違うのか実験したのが
大人の写真。子供の写真。」という一冊。

見えたものを一つの作品に仕立てようとする大人と、
見えたことに対する感動のままにシャッターを押す子供

子供できたら、こーいう遊びもさせてみたいなぁ…と思いました( ´ー`)
そして、写真には「視覚遊び」って一面もあるんやな…とも思いました。



それにしても…今まで撮った写真を見直してみると、子供が撮った感じのばかりやな、と(;´∀`)
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第707回「うどん派?そば派?」

2009年04月04日 08:23

こんにちは!トラックバックテーマ担当の水谷です!
今日のテーマは「うどん派?そば派?」です。

水谷は、うどん派なのですが
会社の近くのうどん屋が店じまいをすることになり
ちょっぴりショックです。

関西人はうどんが好きな人が多い気がするのですが
実際は、どうなんでしょうね。

そばもおいしいのですが、歯ごたえのある
讃岐うどんは、本当に最高です!!

香川県名産の讃...
第707回「うどん派?そば派?」





むかしは完全にうどん派でした( ´ー`)
子どもの頃、日曜のお昼にあっさりしたおつゆのうどんをしょっちゅう食べてたもので…ほんのりとした甘さともちっとした食感がたまらんなぁと( ゚ ρ ゚ )
ただ、大人になってから不純な動機でそば打ちを始めて以来、そばもいいなぁと思うようになりまして。
そばの魅力は…スレンダーながらひきしまったボディと香りでしょうか。

そんなこんなで現状は五分五分ってとこで( ・∀・)アヒャ

第671回「大人になったなぁ...と思う時」

2009年02月10日 07:44

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当加瀬です。本日は「大人になったなぁ...と思う時」です。気づかないうちに、少しずつ丸くなっていく自分に、昔の自分とを比べる事って、ありませんか?ふとした振る舞いや、言動に、今までとは違う自分を見出したりする事もあるかと思います。私は、最近、数が人数分もないケーキ...
FC2 トラックバックテーマ:「大人になったなぁ...と思う時」





そーですねぇ…なんとなく思いつくのは、
ホテルの手続きを一人でやりきった時
○昔住んでた島のスナックで、オネーチャンとデュエットした時
○上の人しかいない飲み会に巻き込まれた時
ってとこでしょうか(;´∀`)

配慮って

2009年01月19日 23:52

 最近いろんな方の日記でチム戦の事に触れられていて、いろいろ同感しながら読んだりしておりました。その中でふと、自分が昔考えてた事を思い出し、試し書きする次第であります。

 最近、一人称でしかモノを考えない人が増えている気がします。
 ここで出した”一人称”は、英語の文法の授業で出てくるのと同じです。"I am tired."みたいなのですね。要するに、「私は●●。だから…」という感じにあくまで主語が私である事が特徴ですね。
 ま、単純にいえばチム戦勝手に抜ける人の思考構造の一つとして「(私は)やっててつまらない(or自分のためにならない)から、抜けちゃえ」といったのがありそうだな~、と思ったりします。
 もともと一人称の思考は生き物なら誰にでも備わっているものと思います。もともとは”生きたい”という本能がベースだと思いますし。
 ただ、それだけだと集団生活はきつそうだな~と思います。ま、自分ひとりだけで生きていこう、って考えならまだしも、ですが…。一人称でしか考えられないと、周りと何らかの摩擦が発生したときもそれが解消しないか、かえってこじれてしまうかだけのような気がしますし。お互い摩擦を極力小さくするには、相手の立場に立って考える事、すなわち「あなたは●●。だから…」といった感じに考える事が必要だろうと思います。私なりの表現では”二人称の思考”ってとこでしょうか。(これの応用として、目の前にいない相手を考える事は”三人称の思考”なんでしょうかね^^;)
 これらの思考はあくまで道具であり、使う人の意思によって凶器にもなりうると思います。ただ、使い方を議論する以前に、その道具の存在に気づいてるか否かの方が重要な気がしています。

 道具の使い方なんて人それぞれだと思いますが、大人になっても”一人称の思考”しか使わないとなると、多種多様な人の結びつきで成立している”社会”の中では生きにくくなるかな~と思ったりします。


 以上、極論&乱文失礼しました。




これを書いたのは2005年9月。
プチコミやり始めのころ…パンヤのチームバトルの事だったような。
私自身はほとんどやったことないのですが…これをやって嫌な目に合ったプチ友さんが多かったもので、その人たちの話を聞くたび「こーいうことかな」と思って書いたものです。

myself

2009年01月18日 01:27

 持って生まれた才能がそれぞれに違うのなら、その生かし方も違ってくる。
 
 子どもと遊ぶ様子を見ても、自分のカタチを知っている大人は、自分のペースに子どもを巻き込んでいく。
 徹底して引っ張ろうとする大人がいれば、子どものペースに合わせようとする大人もいて、お互い言い合ってる大人がいれば、子どもともども(=゚∇゚)ボーっとする大人もいて…。
 最初はどう遊べばいいか分からなくて…ついドッチボールとかサッカーとか複数の中で遊ぶ方へ目が向いていったり…。数を重ねる事でだんだん見えてくることもあるけど、なかなか見えてこない事もあるわけで…周りは自分のカタチに気づいていってるのに、と焦りやら悩みやらが生まれて…。

 何も難しく考える事はない。
 自分がいて相手がいて、限られた時間をいかに楽しく過ごすのか。
 自分も相手も楽しむには、どんなやり方があるだろう。
 お互いに笑顔でお別れするには、どうすればいいのだろう。
 
 まずはひとつだけ目標作って相手と接してみて、
 そこでちょっとでも楽しめる事があったら、それを頭に刻み付けて、
 そこでちょっとでも相手を傷付ける事があったら、それも頭に刻み付けて…
 それを繰り返すうちに、そのうち…。

 そんな私も自分のカタチを持つまでに至ったかといわれれば…まだまだとしか
 それでも、おぼろげながらもそれらしいのが見えてきたのは…悩みながらも歩いてこれたからかな~と思ったり。




これを書いたのは2007年6月。
大学4年の頃に参加していたサークルに、社会人になってから久々に参加した時のものです。
このサークル、孤児院のような施設の子どもたちと遊ぶのが主な活動なのですが、結構個人プレーになる事が多かったような。背景として、メンバーひとりひとりのアクが強かっ…いや、オーラが強くて”子どもたちの太陽”になれる人が多かったなぁと。
自分で光れない私は”太陽”にひっついてばかりでしたけどね(;´∀`)

…まぁ、”光れない”という殻を勝手に作ってただけだったりするんでしょうけど。


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