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配慮なき言葉を投げてくる相手への対処法

2009年02月03日 14:10

コミュニケーションってのは、早い話が「言葉のキャッチボール」なわけでして
キャッチボールってのは、投げる人と受ける人がいて初めて成立するわけでして
そーいう意味で、本や新聞は「投げっぱなし」なメディアといえるわけでして

言葉が使えるってのは人間という生き物の持つ特権みたいなもので、
人間として生まれた以上、その特権を思う存分行使してみたいと思う人もいるもので、
なかには受け取る側をろくに見ないで投げてくる人もまたいるもので、

受け取る側への配慮がみじんもないままに投げつけてきた言葉を、いちいち真摯に受け取る必要があるのだろうか…と思うもので。
どうでもいいのをスルーして、「なぜ受け取らない?!」と凄んできたら「受け取る気がないんで」と返す。それも一つのやり方かな…と。


これが答えになってるかどうかは?ですけど、相手が何投げて来ようがそれは相手の自由なわけで、その自由があるのなら、こっちにも受け取るか否か選択する自由もあるだろう、と思うもので。


一晩単純なのは、「それはあんたの勝手だろ」とだけ返して打ち切っちゃうことですかね( ・∀・)アヒャ
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よくもわるくも

2009年02月01日 11:30

 就職活動をやってた時、”面接でよく聞かれる設問集”を本屋で読んだのですが…その中で「自分を動物に例えると?」やら「自分を一言で表すと?」という質問に目がとまりまして。
 
 自分ってどんな人間なのだろう…。

 就職活動やる前から、事あるたびに突き当たってたところでしたが…何度も突き当たるうちに、ふと思うことがあったのです。

 性格表現するのに使う”長所”と”短所”って、要するに裏表なんじゃないかな。。。
 一人ひとりが持っている”個性”を図形に表すとすると、たぶん人それぞれに凸凹があって…その凹んでいるところや凸むところが、時に長所に見えたり、時に短所に見えたりするだけなんじゃないかな。。。
 
  その視点で自分を見直すと…私の場合、マイペースという言葉が当てはまるように思ったのです。
 人に流されない、自分の持分はしっかりこなすって言えば長所にみえ、自分でしたがらないことはしない、自分勝手っていえば短所にみえて…。

 要は、私の性質のひとつに”よくもわるくもマイペース”というのがあるのかな~と思うのです。ま、あくまで自己分析でしかないのですが(;・∀・)




これを書いたのは2006年10月。
プチコミの隠れ家でこっそり書いたものの一つです。
「嗅ぎつけた人だけ公開」というルールだったもので、見た人は”ごくわずか”…それゆえに深いやり取りができて、これはこれで楽しいものでした( ´ー`)

ちゃんとカンペができてから

2009年01月29日 01:05

 チャットしている時もフツーに会話している時もそうなのですが…フツーの人より会話のテンポが遅いような気がします…って自分で勝手に思ってるだけですがΣU゚∀゚;U

 元々”話したい”より”聞きたい”の方にいきがちなもので、積極的に自分の話をするってよりは相手が語ってるのを聞いてそれに反応する方がラクといいますか…。

 受けのみってのもどうだろうと思う時期があり、”生活の中で気になった事やら思った事やらを紙に起こして文章化する”ってのを試した時期もあり…おかげで”話題の選択肢”は浮かぶようになるのですが、その代わり頭の中でちゃんと文章化できないと言葉が出ないようになりまして(;・∀・)

 口語と文語って言葉がそれぞれあるように書き言葉=話し言葉ってわけじゃないと思うのですが、チャットやら会話やらって時にもつい文語調になるといいますか、ちゃんと文章化しないと外に出ないといいますか…そんな傾向があるなぁと。
 ちゃんと文章化できたと思ったあたりで外を見ると、もう別の話題に行ってて…もう旬のネタじゃないなと思って外にでかけたのを戻す事ってのがよくあるわけですよ。
 
 昨今”コミュニケーション能力”なんてのをよく聞くわけですが、それってのは”ちゃんと話せる力”って事なんでしょうし…それをみると、口語をうまく操るってところは苦手だなぁと(;・∀・)




これを書いたのは2007年10月。
聞き上手に話し上手…とまでいかないまでも話し好きか聞き好きは結構いたりするもので…そこのあたりの凸凹がかみ合うとラクなんでしょうけど( ´ー`)

配慮って

2009年01月19日 23:52

 最近いろんな方の日記でチム戦の事に触れられていて、いろいろ同感しながら読んだりしておりました。その中でふと、自分が昔考えてた事を思い出し、試し書きする次第であります。

 最近、一人称でしかモノを考えない人が増えている気がします。
 ここで出した”一人称”は、英語の文法の授業で出てくるのと同じです。"I am tired."みたいなのですね。要するに、「私は●●。だから…」という感じにあくまで主語が私である事が特徴ですね。
 ま、単純にいえばチム戦勝手に抜ける人の思考構造の一つとして「(私は)やっててつまらない(or自分のためにならない)から、抜けちゃえ」といったのがありそうだな~、と思ったりします。
 もともと一人称の思考は生き物なら誰にでも備わっているものと思います。もともとは”生きたい”という本能がベースだと思いますし。
 ただ、それだけだと集団生活はきつそうだな~と思います。ま、自分ひとりだけで生きていこう、って考えならまだしも、ですが…。一人称でしか考えられないと、周りと何らかの摩擦が発生したときもそれが解消しないか、かえってこじれてしまうかだけのような気がしますし。お互い摩擦を極力小さくするには、相手の立場に立って考える事、すなわち「あなたは●●。だから…」といった感じに考える事が必要だろうと思います。私なりの表現では”二人称の思考”ってとこでしょうか。(これの応用として、目の前にいない相手を考える事は”三人称の思考”なんでしょうかね^^;)
 これらの思考はあくまで道具であり、使う人の意思によって凶器にもなりうると思います。ただ、使い方を議論する以前に、その道具の存在に気づいてるか否かの方が重要な気がしています。

 道具の使い方なんて人それぞれだと思いますが、大人になっても”一人称の思考”しか使わないとなると、多種多様な人の結びつきで成立している”社会”の中では生きにくくなるかな~と思ったりします。


 以上、極論&乱文失礼しました。




これを書いたのは2005年9月。
プチコミやり始めのころ…パンヤのチームバトルの事だったような。
私自身はほとんどやったことないのですが…これをやって嫌な目に合ったプチ友さんが多かったもので、その人たちの話を聞くたび「こーいうことかな」と思って書いたものです。

myself

2009年01月18日 01:27

 持って生まれた才能がそれぞれに違うのなら、その生かし方も違ってくる。
 
 子どもと遊ぶ様子を見ても、自分のカタチを知っている大人は、自分のペースに子どもを巻き込んでいく。
 徹底して引っ張ろうとする大人がいれば、子どものペースに合わせようとする大人もいて、お互い言い合ってる大人がいれば、子どもともども(=゚∇゚)ボーっとする大人もいて…。
 最初はどう遊べばいいか分からなくて…ついドッチボールとかサッカーとか複数の中で遊ぶ方へ目が向いていったり…。数を重ねる事でだんだん見えてくることもあるけど、なかなか見えてこない事もあるわけで…周りは自分のカタチに気づいていってるのに、と焦りやら悩みやらが生まれて…。

 何も難しく考える事はない。
 自分がいて相手がいて、限られた時間をいかに楽しく過ごすのか。
 自分も相手も楽しむには、どんなやり方があるだろう。
 お互いに笑顔でお別れするには、どうすればいいのだろう。
 
 まずはひとつだけ目標作って相手と接してみて、
 そこでちょっとでも楽しめる事があったら、それを頭に刻み付けて、
 そこでちょっとでも相手を傷付ける事があったら、それも頭に刻み付けて…
 それを繰り返すうちに、そのうち…。

 そんな私も自分のカタチを持つまでに至ったかといわれれば…まだまだとしか
 それでも、おぼろげながらもそれらしいのが見えてきたのは…悩みながらも歩いてこれたからかな~と思ったり。




これを書いたのは2007年6月。
大学4年の頃に参加していたサークルに、社会人になってから久々に参加した時のものです。
このサークル、孤児院のような施設の子どもたちと遊ぶのが主な活動なのですが、結構個人プレーになる事が多かったような。背景として、メンバーひとりひとりのアクが強かっ…いや、オーラが強くて”子どもたちの太陽”になれる人が多かったなぁと。
自分で光れない私は”太陽”にひっついてばかりでしたけどね(;´∀`)

…まぁ、”光れない”という殻を勝手に作ってただけだったりするんでしょうけど。


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